前回、今次々と過去になっている音の蓄積を
築き挙げていく中で音楽を創っていくという話をしたが、 今日はそれの続きというかそれと関わる話をする。 音楽をやる上で再現性とは、その音楽がいかなる種類のものであっても、 それを確かなものとして強度を高める上で重要なファクターであろうと思う。 (ただし、ここでいう再現性は完全さは問うものではない。実際には完全な再現が 不可能なことは明らかだ。音の鳴りは空気を震わすことであるし、温度、湿度の条件が変われば、一度として同じ音は鳴らない。) しかし、何らかの形で本番という形式に乗っ取って音楽をする我々にとって、 練習、リハーサルは欠かせない。ここにレベルの大小はあるものの、再現性が重要な もととして、関わってくる。つまり、経験の蓄積がこの間行われるのだ。 しかし、経験の蓄積とは、どこまでいっても取り出すことはできないものだ。 思い出されるそれはどこかの場所に保管された蓄積ではない。 つまり思い出している状態はどこにも再現できていない。 その音の鳴りだどのようにして出されたかを思い返すこと自体には意味はない。 その瞬間に出すべき音をこれまで何べんと無く練習し、リハーサルの中で探し、 それに近い状態の音を常に出せるように努力してきたはずだ。 しかし、どんなにその練習で出せたベストな状態を思い出しても、 それは取り出すことができない。その音はその瞬間に空気を震わして、 もうすでにここには存在しない。 そもそも、 その時ベストだった音が本当に今またベストなのだろうか? 過去に対して自分は何か思い違いをしていたら、その過去を参照しようとすること 自体誤まりかもしれない。 その練習は本当に実在していたか?夢ではなかったか? (大森荘蔵の夢の話等参照) 最近、 今この音楽がはじまったこと、それ以外の音楽は全てこの音楽とは断絶していて、 それらを思い出すことはあまり意味がないのではないだろうか?と思うようになってきた。 今、この音楽が終わらずに、過去にはならずに、進行している。 この今という音楽に自分は一音、一音記憶のどこかに認識しているが、 ひとつの音楽として、過去に葬り去らずに抱きかかえて音楽をしている。 この事実がしっかりと今、音を出すことにポジティブな態度をとらせてくれるような 気がする。 最近、リハと本番の間で自分がどこか乖離しているようなそんな気がして、 時間論などを気にしながら、 こんなことをとりとめもなく考えている。 #
by under305
| 2006-09-22 16:15
| 音
[名](スル)
1 抑制し圧迫すること。むりやりおさえつけること。「言論の自由を―する」 2 心理学で、不快な観念や表象・記憶などを無意識のうちに押し込めて意識しないようにすること。 〔鎮圧,活動禁止,抑制〕suppression; 〔圧迫,圧制〕oppression ◇抑圧する|suppress ((information)); oppress ((the people)) #
by under305
| 2006-08-10 19:18
| 言葉
かくご 【覚悟】
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。「苦労は―のうえだ」「断られるのは―している」 2 仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。 3 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。「もうこれまでだ、と―する」 4 覚えること。記憶すること。 5 知ること。存知。 ――の前 前もって十分に覚悟していること。覚悟の上。 1 〈決心〉 (a) resolution 覚悟する make up one's mind 《to sth, to do》; be ready [prepared] 《for》 覚悟している 〈心を決めている〉 be determined 《to do》; 《fml》 be resolved 《to do, that…》 2 〈用意〉 readiness; 《fml》 preparedness 覚悟する[している] 〈心構えができている〉 be ready [prepared] 《for》 万一の覚悟はできている be prepared for the worst 3 〈あきらめ〉 resignation 覚悟している 〈観念している〉 be resigned 《to one's fate》 #
by under305
| 2006-07-12 12:43
| 言葉
僕はこれまでやってきた音楽が即興という要素を強く持っていて
当然そうでない音楽も同時進行的に大好きで 取り組んでいるわけで、 今日はそのあたりについて書こうかと思う。 今僕は 純歌モノのバンドにサポートという形でドラムで参加している。 バンドといってもこのバンドは ボーカルとギターのデュオで、その編成にドラムを叩いて入っている。 もう既にこのバンドは活動が開始して数年経っているので バンドの方向性というか音楽の向かわせたい方向などもわかっているんだと思う。 実際、そういう部分を強く感じる。彼らの音楽がちゃんとそこにあると思うから。 そうした中で自分はその音楽にどういう形で参加できるかということを 考えながらドラムで音楽に参加し、その一部を担って音楽をやっている。 最初僕は彼らに対して、 僕はこのバンドの横で手拍子をする。後ろから手拍子と拍手で 二人を盛り上げる。うーん。というよりは、そっと支えるというかそういう風にしたいと思う。 と伝えた。今もその気持ちは変わらないし、 その一言があって、音を重ねた時のフィーリングもあって彼らは僕を認めてくれたというか 仲間に誘ってきたわけだ。 僕にとっては ベースレスのスタイル。出来上がっている二人の音楽に対して自分ができること(サポートドラムとは)という本質的な問題にじっくり取り組めるなと思い、参加することにした。 というか彼らが本当に頑張っているので自分もいい意味で影響を受けたかったと思ったのもあった。 活動の拠点を移してからまだ本格的に音楽活動を再開できていなかった時期であったし、 (それは今もそうなのだが。。。) 即次の行動を起こしたいと思ったときにいいタイミングで声をかけてくれたという巡り合わせも勿論あった。 そして、今リハが毎週重ねられて、 来週ライブをやります。僕が入るライブは初です。 そこに向けてリハを重ねている中で気が付いたことを一つ書きます。 それは僕は即興と言うか普段音楽やっているときというのは かなり過去に意識が引っ張られているのだなーということです。 過去に引っ張られるというか、 過去の蓄積をかなり大事にして、その上にもう一音積み重ねるという作業を かなり無意識、かもしくはこれは訓練されたものでもあるかもしれない (デレクベイリーなどの言う非イディオムとはまた別物かもしれない(ここで即興のイディオム、非イディオムと今話している時間との関係については上手く説明できない)) 意識の中で、やっているのだということに気が付く。 具体的にどういうことかというと ある音楽をやっていて、 今まで、(この瞬間までに)どういう音楽をやってきて、この瞬間にたどり着いたかということを かなり重視して、それを判断材料に、次の音を決定しているということだ。 つまり過去量に編重した発音をしているということだ。 これは一見当たり前のようだが、 そうではない。 一方で、僕は譜面や決め事にめっぽう弱い。 つまり、予見された想定された予め指定された音を出すことが苦手だ。 この瞬間に辿りつくまでということを そうした譜面と言う中で時間をなかなか捉えられない。 把握しきれないのだ。これは当然この手の訓練がかけているからなので、 あまりできませんをえらそうに言っても仕方ないが、 過去量の受け止め方に対して未来量が見えてないということになり、 かなり次に起きること、それも予め指示されているものを なかなか信じられないという天邪鬼ぶり。そこに辿りつく前に過去につぶされている。 歌というある一定の流れをどう理解しそれを時間の中で 過去のつむぐのニュアンスの連続をどう意識するか、 次に起こる未来量をどう推量し、 音として表明しそれを次の過去へと認識し、いまを理解するか。 この辺りがかぎである。 過去と未来をどうつなぐか?そのためにどういまを理解するか? このテキストはできるだけ、文脈という言葉を意識して避けた。 #
by under305
| 2006-07-10 03:47
| 音
今回もオギュスタンベルク氏の言葉から
------------- 「躾」とは、コスモスを身に付ける、オーダーを感じる、身体をきれいにするということ。この躾と言う言葉は日本が作った言葉。 或る世界の有るはずの秩序を身につける。こうやって自分の身体の大きさで大自然と繋がるから、或るスケールが出来る。 ------------- 躾と言う言葉の奥行きにまず新鮮な感覚を覚えた。 そして、こういう躾の行き届いたものづくりを自分もしたいなと思う。 音楽に関してもそういうあるスケールが感じられ、自分の中が秩序だっている。 躾のある、躾を身につけたそういう音楽を。 #
by under305
| 2006-07-03 12:31
| 言葉
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